野球少年が陸上にのめりこんでいく
神 野
戸田と初めて会ったのは、大学の時の同期会だったかな(神野が青山学院大学、戸田が東京農業大学)。大学に関係なく、陸上選手みんなで集まった食事会だよね。
戸 田
大学2年の時だね。
神 野
高校まではそんなに関わりもなかったから、正直、それまでは戸田を意識したことはそんなになかったよ。
戸 田
中学の頃なんて、当然、お互いを知ることなんてなかったからね。
神 野
戸田は中学の頃から全国大会に出ているけど、僕は中学の時の自己ベストは1500mが5分4秒で、3000mも10分27秒だったから、県大会にさえ出たことがなかった。でも、走るたびに自己ベストが更新されてどんどんハマっていった。
戸 田
神野は中学時代、陸上だけじゃなくて野球も続けてたって聞いたけど。
神 野
そう。小学校1年からずっと野球をやっていて、中学に入ってもクラブチームに所属していたから。部活で野球部には入れず、それで陸上部に入ることになった。月曜から金曜は陸上、週末は野球という生活を送っていたよ。僕は左利きなのでピッチャーをやっていて、小学校の頃はレギュラーだったけど、だんだん周りの人との体格差もあり、試合に出る機会が減ってきて、それで野球人生に限界を感じ、中学2年の夏から、陸上に専念するようになった。
戸 田
高校で一気に強くなったんだ。
神 野
高校に入学した時に自己紹介で3000mの自己ベストを言う決まりがあって、同級生の女子には清田(真央、スズキ浜松AC)がいて、当時は女子選手よりも遅かった。だから、当初は5000mを14分台で走ることが目標で、2年生でその目標を達成して初めて全国を目指そうと思うようになった。
戸 田
3年のインターハイは、予選の組は違ったけど、共に5000mに出場したよね。
神 野
初めて出ることができた全国大会で、落ち着きがなかったのを覚えている。同世代のトップ選手たちを見ては、舞い上がってしまい、結局自分のレースもできず、組で10番に終わってしまった。
箱根駅伝が分けた、明と暗
戸 田
でも、大学に入ってからは箱根駅伝での活躍がすごかった。
神 野
箱根に出たくて関東の大学に進んだから、大学に入ったばかりの頃は、箱根が最大の目標だった。実を言うと、青山学院大学を選んだのも、当時はまだ強いチームではなかったから、「青山学院大学だったら、僕でも箱根に出られるかもしれない」という思いもあった。チームは年々成長していって最終的には箱根で優勝するまでになったけどね。最初は、実業団で競技を続けることも、考えてはいなかったよ。
戸 田
じゃあ、卒業後も続けようと思ったのはどうして?
神 野
力がだんだん付いてくるにつれ、続けようと自然に思うようになっていった。
陸上を始めた頃から、宇賀地(強)さんに憧れていて、自分もああいう走りがしたいという思いがずっとあった。体格も似ているけど、粘り強く、体全体を使って走る姿には強く憧れていたよ。コニカミノルタというチームを知ったのも宇賀地さんがきっかけだった。
戸 田
コニカミノルタは、練習がきついって聞いたんだけど……。
神 野
実業団の中でも厳しいほうだと言われているみたいだけど、自分に任されている部分も大きい。周りの選手の意識は高いし、その選手たちよりも努力すれば、自分はもっと高い意識を持って、自分の才能を伸ばすことができるはずだから。
戸 田
朝練とか各自のジョッグではどのくらい走る?
神 野
朝練は、月・火・木・金は合同で50分と決まっていて、持ち回りのリーダーによって、コースやペースが変わる。宇賀地さんや山本(浩之)さんがリーダーだと結構ペースが速くて、50分で13.4㎞とかいくこともあるよ。各自の時は、去年は、僕は50分間だったけど、今年からはマラソンを意識し始めているので、今は60分間走ってる。
戸 田
大学を卒業して社会人になって、ルーキーイヤーは“山の神”ということで注目されて、プレッシャーがすごかったはず。それでも、試合で外さないし、気持ちが強い選手だなと感じる。
神 野
プレッシャーはもちろんあったよ。結果が1回良くなかっただけで、“平地はダメか”と言われるから、結果を出すことはすごく意識している。でも、注目されたくても、なかなか注目されない選手もいるから、僕はプラスにとらえているよ。最終的にはハーフで良いタイムも出せたし(2月の香川丸亀国際ハーフで1時間1分4秒、日本人トップの5位)、ニューイヤー駅伝でもエース区間を任せてもらって、1年目は順調だった。2年目からはマラソンをやろうと思っているので、その前段階として、ほぼパーフェクトに送ることができたと思う。今後は「コニカミノルタのエースは神野だ」って言われるようになりたい。
戸 田
僕は、高校の頃、久保田(和真、九電工)や横手(健、富士通)、服部のことを意識して取り組んでた。自分よりも速い選手たちだったので、ライバルというよりも追いかけたい存在だったけど。大学に入ってからは、自分にも力が付いてきたので、大学という枠組みを越えて、実業団の選手にも目を向けていったんだ。今は、自分より速い選手は全員がライバルだっていう気持ちでやっている。
神 野
僕にとって、高校時代のライバルは清田真央で、タイムではなく、お互いの結果を競って、刺激し合っていたし、大学では、同期に久保田という強いランナーがいたので、すごく意識していた。でも社会人になってからは、ライバルは誰々って、あまり言わないようにしている。僕は2020年の東京は、マラソンで目指しているけど、誰か1人に勝てたからって出られるわけではないし、みんながライバルだと思ってやっているよ。もちろん戸田のことも尊敬している。スピードとかラストのキレとか、自分にはないものを持っているから。今の僕と戸田の才能を合体させたら、相当強いランナーが誕生すると思う(笑)。
戸 田
確かにそうだね(笑)。
特性を伸ばし、2020へ
戸 田
神野は、オリンピックはマラソンで、と公言しているけど、いつから意識していた?
神 野
2020年の東京が決まってからかな。その段階ではぼんやりした感じだったけど、結果が付いてくるようになったし、ここ最近は、2020年を目指していろんな取り組みもやっているので、頑張ったら届くところまで来ていると本気で思っている。自分が目指すオリンピックは、東京が最初で最後になると思う。だから、強気になれるし、このままの勢いで切符を掴みたいね。
戸 田
僕は5000mでの出場を目標にしているけど、まだまだ遠いところにある。あと3年なんてあっという間に過ぎるだろうから、焦る気持ちもあるけれど、慌て過ぎるのもよくないので、しっかり向き合ってやっていきたい。
神 野
3年なんてあっという間だよね。僕は、2020年で陸上を引退しようと考えている。それには理由があってね。マラソンの練習は正直相当きついけれど、マラソンでメダルをとるという目標があるから、我慢して取り組むことができる。でも、その我慢ができるのも、あと3年が限界だと思っているから。もし結果がダメで、そのときに「あと4年間努力ができる」と思ったら、次のオリンピックも目指すかもしれないけどね。
戸 田
引退した後のことは考えてる?
神 野
オリンピックのマラソンでメダルを獲れれば、その先の人生は約束されたようなもの(笑)。将来、やってみたいことは2つ。1つは母校の青山学院大学で指導者。もう1つは、高橋尚子さんのように、ゲスト解説をしたり、いろんな大会でゲストランナーをしたりして、陸上競技の楽しさを、若い世代に伝えていくこと。どちらにしろ、僕は陸上の他にやりたいことがあるわけではないので、この先もずっと陸上に関わっていくことは間違いないだろうな。
プロフィール
神野大地 (コニカミノルタ)
出身
愛知県
出身校
中京大中京高校~青山学院大学
生年月日
1993年9月13日
- 神野大地選手プロフィール