米国最初の人間衛星船フレンドシップ7号(グレン中佐搭乗)の飛行に
『ミノルタハイマチック』が採用
1950年代、ミノルタ(当時、千代田光学精工株式会社)は米国のカメラショーに積極的に出展するなど業界に先駆けて海外へ打って出ていきました。この当時、米国とソ連の間では激しい宇宙開発競争が展開中。ソ連に有人宇宙飛行成功の先を越された米国が国の威信をかけて開発したのが、フレンドシップ7号でした。その宇宙飛行の記録役として、NASAは世界中の数あるカメラの中から「ミノルタハイマチック」を抜擢。無事、宇宙での大役を果たしたハイマチックによって、ミノルタの名は日本から世界に広く知られるところとなりました。